日本の知は

 ノーベル賞受賞者へのインタビューで必ず出てくるフレーズが、基礎研究への国のバックアップである。敢えて受賞者も言わざるを得ない状況が、今の日本の現状のようです。

 特に03年に国立大学法人法が成立した際、参議院では、交付金について、「従来以上に教育研究が確実に実施されるのに必要な所要額を確保するよう努めること」という付帯決議がなされたが、政府はこれを無視する形で、同交付金の毎年1%削減を始め、国立大学は財政難と教育・研究環境の悪化に陥っていく。

 その後日本の「研究力低下」が指摘されるようになり、大学ファンドの運用益で、数校を「世界に伍する大学」に育てるという計画などを進めてきているが、効果は疑わしい。

 大学だけでなく、実は高校教育でも大学入試改革で、大学入試共通テストに英語の民間検定試験の導入が予定されていたが、入試制度で最も重要視される公平性の担保が確保できないことなどから頓挫した。

 これと並行して大学入試改革のもう一つの柱である「JAPAN e-Portfolio」も瓦解した。高校生が部活動やボランティア、資格取得情報などの情報を入力し、志望大学に提出するためのデータベースサイト。文科省の委託事業として開発され、一般社団法人教育情報管理機構が運営し、システムはベネッセが担っていた。このシステムへ利用ではベネッセのIDが必要であることから特定業者への利益誘導との批判が高まる中で、参加する大学も当初の見込みより少なかったために、同機構の財政状況が悪化。文科省も運営許可を取り消し、サイトは閉鎖された。

 この大学入試改革の一連の動きの中で、高校教育現場は振り回され、現場感覚として、どう考えてもあり得ない改革案にもかかわらず、これまでも文科省の改革案が頓挫することはなかった関係で、その準備に多くの時間を割かれて混乱を引き起こしていた。結局はなかったことにという結論で、文部行政の最も大きな汚点と言わざるを得ない。

 こと教育に関しての議論小中高から大学まで広範囲にわたり、論点が不明瞭になることが多く、小学校の事案が教育一般に視点が拡大されたり、中学の部活の問題が高校に拡大視される中で、議論が進む中で論点がぼけてしまったりすることが多く、結果として現場の疲労感だけが残ることになることも多い。

 そんな日本の教育・知に関して現状分析から問題点を浮き彫りにした本として、

教育に関する議論での論点がぼけてしまう中で、総括的にその状況を俯瞰する試みと受け止められる内容で、その議論への基礎知識を与えてくれる基本書ともいえる。18章あるコンテンツのどこからでも参加できる、そんな気持ちにさせてくれる本書です。

書こうかと思いながら

11月は気がついたら今日で終わりで、いろいろガタガタしていて更新が今日になってしまいました。

今月のはじめの文化の日文化勲章の受賞者が発表になって、先にノーベル賞が発表になっていて、その受賞者の坂口氏と北川氏が受賞されると思っていたら、北川氏だけだったので、あれっと思ってしまいましたが、坂口氏は2019年にすでに受賞されていたのでした。大体がノーベル賞の受賞後に文化勲章を受章されることが多く、日本の評価が世界より遅いのかという印象を受けることがありました。

数学にはノーベル賞が無いので、その代わりというか、従来はフィールズ賞を受賞するとその後に文化勲章を受章されるというパターンでした。実際日本の数学者でフィールズ賞の受賞者は小平邦彦氏(フィールズ賞1954年、文化勲章1957年)、広中平祐(1970年、1975年)、森重文(1990年、2021年)で、文化勲章の方が遅いことになっています。特に森重文氏はフィールズ賞を受賞してから30年以上も経ってからという遅さです。ノーベル賞と違って、フィールズ賞は4年に一回で、40歳未満という年齢制限や1回しか受賞できないなど、ノーベル賞よりも厳しい条件があります。数学の賞もいろいろあり、アーベル賞などもノーベル賞に匹敵すると言われたりするので、来年あたりにアーベル賞受賞者が文化勲章を受章される可能性もあるかもと思ったりします。

ところで、これまでの数学者での文化勲章受章者は年代順に高木貞治(1940年)、小平邦彦(1957年)、岡潔(1960年)、正田健次郎(1969年)、広中平祐(1975年)、森重文(2019年)ですが、正田健次郎氏はほかの4人に比べてあまり世間では知られてないかもしれませんが、健次郎氏の弟の英三郎氏の長女が上皇后美智子。したがって、健次郎氏は今上天皇の大伯父に当たります。しかし世界的な数学者としての実績からすると他の4人に比べるとどうかなと思ってしまう数学関係者も多いと思います。時代的に岡潔広中平祐の間での数学者として受賞してもおかしくない数学者はいたのではないかと思ったりもします。

私的には、岡潔は高校時代のその随筆「春宵十話」

を読んで知っていたし、大学へ入って広中平祐の受賞を知ってさらに京大へ戻ってきたというので、インパクトが強く、文化勲章での若々しい姿が印象的でした。高木貞治の「解析概論」

は大学での1回生の時の微積分の教科書としていくつかのクラスで使われていて、今でも微積分の定番の教科書であります。この本はこれまでも長く読み継がれてきている本でもあり、内容は変わらず、本の体裁は変遷してきています。

右の写真が私が大学生の頃の解析概論です。一目でこの本であるとわかる大きさですね。
さて、高木貞治は伝説的に日本人として世界へ最初にその名を知らしめた日本人数学者として聞いたり読んだりしていましたが、彼をこっぴどく批評している記述を

に見つけて驚いたのは、私だけではないでしょう。この志村五郎こそ数学者としての業績でははるかに正田健次郎を上回ると思うのですが、文化勲章をもらっていません。世界的には、はるかに十分に認知されている数学者だと思います。この本の中で、著者が大学生から大学の教員になる間の記述は厳しい数学者評価の記述がみられ、普通の本にない趣を感じさせられます。この本には英語版もあり、

です。読みやすい英文でもあり、おすすめしたい本の一冊です。200頁ほどの本ですが、上記の「記憶の切絵図」を日本語訳として参考にして読める点でも、お勧めで、日本語訳にはない付録もついています。

志村はこの本では、こっぴどく批判するだけではなく、素晴らしいと評価している先生もいて、その意味では純粋に評価をしているとも感じられる点もあり、いずれにせよ印象的で記憶に残る本であることは間違いないです。

森重文氏は、小平、広中に続く代数幾何が専門で、広中氏が京大に戻って来た時の集中講義を森氏が記録したのノートから出来上がったのが、

です。実際に記録されたノートからの復刻なので、講義のリアル感が伝わってくる記述が臨場感を与えてくれます。そこには編集者のすばらしさがあります。その編集者の一人の丸山正樹氏の本で私が読みかじった本では、

グレブナ基底を数学的に記述した日本語の本とも言え、良書だと感じます。
最近は大学でも講義ノートや講義録がネット上にアップされるなどしますが、私も高校の授業で特に課外授業などでは講義録と称して生徒に配布したり、その課外授業の動画を撮って、その課外授業を受けられなかった生徒が後でみられるようにパソコンに保存していましたが、生徒は倍速でその動画を見ていて、時間短縮とともに、却って聞き取りやすくなっているのが分かりました。

 

永遠についての...

 少し前にNHKで2回のドラマの「永遠についての証明」観ながら,

を思い出して,読後の印象とは少し違った,ドラマの印象に少し残念な違和感を覚えました.もう少し主人公の心の機微へのふれ方や数学への理解等が浅薄に感じたのが残念でした.実際の本を読むと,読者の印象は人それぞれであり,ドラマ化することで,製作者の読み方が反映されるので,仕方がないかもしれません.そういえば,だいぶ前ですが,

を読んでから,暫くしてから映画化されましたが,映画では,日本数学会も監修して,登場する数学書など細かい配慮がなされていたことを思い出しましたが,数学の才能に恵まれながら,しがない高校教師が主人公でしたので,高校数学教師の自分を照らし合わせながら,本を読み,映画を観たことを思いだしました.

 ある時,この「永遠に...」を知り合いの方に紹介したら,すぐに一日で読まれて,その際にその方が以前読んだ本として,

を紹介してもらい,こちらも一気に読んでしまいました.「永遠に...」と同じような大学を舞台にしていますが,この本では,その時代背景が,私の学生時代と一致していて,当時の工学部の数学系の計算機環境等,懐かしく思い出さしてくれる本でした.大型計算機センター云々など,当時の私の記憶と一致していて,フィクションでありながらも,かなりの精度でのリアリティーは,作者の自伝的小説ともいえます.そこに登場する大学人の仕事環境など,実際に経験した人ならでは,その描写は私の印象にぴったりと一致したものでした.

 先の「永遠に...」は数学研究という人の環境を極度に先鋭化したものでしたが,工学部での数学系での一つの研究のスタイルがこの「喜嶋先生...」には紹介されていて,そこには,理学部での数学研究と工学部での数学系の研究のスタイルの違いか,はたまた,純粋数学の研究と,計算機を使っての数学研究というスタイルの違いはあっても共通する何かがあるのを感じ取れます.現実的には,後者の研究スタイルの方がリアリティーはあると思います.

 現実のノンフィクションとして,大学生が何かのきっかけで,研究に目覚め,成果を上げていく様を周りの人間関係も含めてリアルに描いて,読む方も一気に読んでしまったのが,

でした.たまたま,東京へ行った際に,神田の三省堂で立ち読みして,そのまま読んでしまって,読後に買った本です.そんな本としてはこれが最初です.大学生で,自分が何をやりたいか悩んでいる人や,高校生で,大学で何を勉強したいかを考えるときに,一つの参考になる本で,私は,高校生に薦めてきました一冊でした.宇宙物理での計算に特化したコンピューターを作るという内容ですが,私の学生時代にも,偏微分方程式の数値解析に特化したコンピューターを作るという話が,同じ学科の他の研究室でなされていたことを思いだします.また,当時同じ学科で,講師の先生で,工学部で数学の偏微分方程式を研究して,結果的に理学部の数学科の教授になられた方を思い出しながら,工学部でも数学研究はできるし,何かをテーマに見つけてその研究を推し進めていく原動力のようなものを,読み取れる本は貴重であると言えます.

 世界的な数学者の評伝,自伝的な読み物としては,

や,

がありますが,前者は大分前の数学者で,私も高校時代に随筆集を読んだことがありますが,すさまじい研究スタイルが,ある種の数学者イメージを作ったのかもしれませんが,後者は,少し前に亡くなられた数学者で,私の父親と同世代で,頭脳流失というフレーズがささやかれた時代の知る人ぞ知る世界的な数学者で,フェルマーの最終定理の証明に係る,「谷山・志村予想」の本人ですが,ある意味赤裸々な記述というか,歯に衣着せぬ人物論評で,話題にもなった内容ですが,ある意味天才数学者の素顔が見える内容です.

 

時代の証言者

 前回,グラフ理論から,数学者秋山仁と書きましたが,今年の夏頃,読売新聞に時代の証言者というコーナー,日経新聞で言えば,私の履歴書にあたるところで,秋山仁が自分の履歴を書かれていました.内容に関しては,これまでもいろいろなところで,自ら書かれていた内容で,私の知っていることばかりでした.高校の頃,大学受験のこと,大学院,そしてその後数学者になるまでの苦労話など,身近に感じられるけど,読む方も勇気づけられるないようです.

 私の学生時代に学部の講義で,グラフ理論がありましたが,殆ど日本語の教科書はないので,ベルジュの教科書を担当の先生が手書きの日本語に訳したプリントでの授業で,手書きの文字が読みにくく,それでもそれしかない教材なので,貴重ではありました.グラフ理論の大家のもう一人,フランク・ハナリーが秋山仁アメリカでの師匠でした.秋山仁は予備校でも教えていて,色々著書や訳本も多く,また,自らの伝記的な本の方が面白く読めて,その意味でも変わった数学者とも言えそうです.数学者になるには,高校時代からずば抜けて数学ができ,東大や京大に入って,そこでも抜群に数学だ出来ることが数学者になるための必要条件のように思われる中で,彼の数学者への道は,決してそれが必要条件ではないことを証明したもので,その意味でも読者に勇気を与えるかもしれません.手元にある,秋山仁の著書や訳本では,

は少し古い本ですが,今の時代でも頷ける内容の本で,教育関係者にも参考になります.

は,大学入試の数学のネタ本になるような内容で,高校の数学の先生が単に生徒に受験問題集を使って教える際に自らが,参考にして,問題の背景等を探るためにも参考になる本だと感じます.大学の教科書でも日本の数学者とは違って,予備校でも教えた経験などから生徒学生の理解の仕方等を熟知した視点から,訳されたのだと思える本として,

があります.アメリカの大学初年度に教える微積分ですが,日本の高校の微積分を教える際に先生が参考にできる本として,日本には類書がないような内容で,逆関数微積分の内容など,高校の教科書を補足したいような内容になっていて,参考になります.

 

 

女性の科学者

 大学の理系学部でも最近は,女子の学生の割合も増えてきているようですが,私が大学へ入った頃は,例えば,東大の理Ⅰや京大の工学部の定員は1000人ほどで,今もそれほど変わっていません.18歳人口を考えると今の入試の方が易しいと考えられます.

 当時の京大の工学部では,私の学年は5人しか女性がいなくて,そのうちの一人が同じ学科にいたことで,それだけで工学部の中でも何故か誇れる気持ちが湧いてきました. 東大の理Ⅰでも定員1000人くらいで、女子は片手ほどの人数だったとか。今から50年も昔で、やはり隔世の感はあります。久しぶりに大学へ行ったとき、女子学生の多さにびっくりした自分でした。

 他の学科の女子学生も何人かは私の在籍していた学科を志望したにもかかわらず,合格最低点に届かず,第2志望の学科に合格だったと聞いておりました.当時の工学部は今と違って,17学科別の合格判定で,第1志望に不合格でも自分の点数から1割減点しても第2志望の学科の最低点を上回っていればその第2志望の学科に合格できたのでした。現実には、工学部でも17学科あったので、合格最低点に関しては、900点満点(英、数、国各200点、物理、化学、社会各100点)で、100点以上の差があり、450点くらいから550点くらいでした。農学部は工学部よりもさらに低く、理学部は工学部の上位の学科くらいで、薬学部は工学部の中位くらいでした。医学部は600点はあったと思います。ただし、最高点に関しては、あまり差がない感じで、医学部よりも理学部、工学部の最高点の方が高いこともありました。数学だけは理系と文系で問題が違った以外は分離共通の問題でした。したがって、最低点などでその学部学科の難易度が測定できます。勿論共通一次以前の時代で、3月3日4日5日が入試日で、3日が国語(9:00~11:30)、数学(13:00~15:30)、4日が英語(9:00~11:30)、理科(13:00~15:30)、5日が社会(9:00~10:30)でした。私の場合、理科は物理と化学、社会は日本史でした。数学以外は文理共通問題で、すべて記述式です。共通一次センター試験、共通テストと2次試験というシステムに疑問を抱く人は少ないのですが、私は今も2次試験だけで十分で、科目数を多くして記述式問題での制度でいいと考えています。特に共通一次センター試験、共通テストの制度のもと高校の教育が単に授業内容だけでなく、行事等も含めて大きく影響を受けて、特に公立高校の授業時間の確保や選択科目による偏った履修による問題点を感じています。

 さて、私の高校2年生の時の担任の先生が、当時60歳近い年齢の女性の家庭科の先生でしたが、その先生の頃は旧制の大学制度の頃で、女性が帝国大学に入ることはできなく、女子高等師範学校という、今のお茶の水女子大と奈良女子大の前身の学校が女性が学べる最上位の学校でした。その担任の先生は京大の研究生として学ばれたとか。家庭科の先生でありながら、数学の無限等比級数の和の公式などもご存じで、いろいろ学問的な話など、昼の休み時間にお聞きしたりしました。先生の息子さんは、私の高校の先輩に当たり、東大の理Ⅰから理学部の物理学科に進学され、大学院はノーベル賞を受賞された湯川博士のいる京大か、坂田博士のいる名古屋大学かの選択で、名古屋大学を選ばれたそうです。ノーベル物理学賞を受賞された小林、益川博士が先輩にあたる年齢かと思います。大学院を終了後、京大の湯川研究へ、行く予定が、湯川先生の先輩にあたる物理学者の方が金沢大学におられ、金沢へ来るようにと言われ、その後金沢大学の教授として、研究生活を送られ、私の高校の教え子がその研究室でお世話になることになりました。

 そんな高校2年生の時の担任の先生が、理学部の化学では、東邦大学があるよと、ある時話され、受験では有名ではない大学をどうして話されたのかと思いましたが、猿橋賞で有名な猿橋勝子を意識されていたんだと思います。猿橋勝子さんは、最初東京女子医大を志望していたにもかかわらず、ある時、その創始者の女性の話に愕然として、志望を変更して、東邦大学の最初の学生として入学されたそうです。

 猿橋賞は女性の科学者に贈られる賞としては有名ですね。確か50歳以下という年齢制限もある賞で、数学では、東北大の小谷正子さんや東大の石井志保子さんなどが受賞されていますが、数学は、女性であっても、その実績を正当に評価する傾向にあるように思われます。また猿橋賞の初期の受賞者でもあり、大学の先輩でもある米沢富美子さんは日本物理学会の会長も務められて、自伝の

には、女性として理系学部に進むことの時代的な背景も含めて、詳しく書かれており、生き生きとした文章がその生き様や男性にも負けないという姿勢が伝わって来ます。その意味で、高校生などには是非読んでもらいたいし、いつだれが読んでも新鮮さが伝わって来ます。

 そんな猿橋賞猿橋勝子さんのフィクションではあるものの、史実に基づいて書かれた小説

は、作者が理系の作家でもあり、ある意味安心して読める内容で、あたかもノンフィクションを読んでいる感覚になります。実際ノンフィクションに近い内容だと感じます。その背景には、これまでも猿橋勝子さんに関してのノンフィクションが書かれているという背景があるかもしれません。

 そして、どうしてもこの猿橋勝子さんと私の高校2年の担任の先生をオーバーラップして思い出させられるのです。さらに、私の妻がその担任の先生の娘さんと同じ職場で働いていたこと等、人のつながりが、あたかも線と点の織り成すグラフのような感覚を憶えます。

 グラフ理論では、教育者でも有名な秋山仁さんを思い出しますね・・・。

 

1か月ぶりの卓球

先月上旬に左足の脹脛の筋断裂を卓球の練習時に受傷して以来、今日初めて練習を再開しました。

受傷したときは、まともに歩けなくて、苦労しましたが、日が経つにしたがって回復してきて2週間後には何とか普通歩行もできるようになって、1か月たって今月から練習を再開しました。整形外科に診てもらっても、これといったアドバイスもなく、湿布するだけの治療でした。

 昔の教え子で、今はスポーツドクター(?)のドクターにメールして、いろいろアドバイスをいただき、こんなにも違うのかと医者の違いを痛感しました。ともあれ、今日の練習に参加して、クラブの皆さんも温かく迎えて頂き、感謝しかありません。

 実際に2時間ほど練習をしましたが、最初の1時間は基本練習で、フォアハンド、バックハンド、ツッツキ、サーブからのフォアドライブ、サーブからのバックドライブ。次の1時間はカウントは取らないものの、ゲームに近いフリーの練習でしたが、思ったよりも動けて、いいボールも打てて、1か月振りとは思えない印象でした。疲れとかは明日以降出てくるかもしれませんが、気持ちよく練習できたことが何よりの成果でした。

 基本練習をしながら、逆に新たな課題も見つかり、また、仲間のゲーム練習を見ながらいいヒントを得られた今日の練習でした。

 レベルの近い選手が多く、各人がプラスになる練習環境で、なかなかこのようなクラブも珍しく、今後も継続して練習していきたいと、改めて感じました。

私のデスク

 「だれか私のデスクを整理してくれませんか。」

そんな声が聞こえてきそうな私のデスクです。猛暑や線状降水帯からの注意喚起や警報がテレビから聞こえてきますが、私のデスクや書斎も警報発令状況にあります。

いやはや、説明も聞きたくないと思われるでしょうね。パソコン5台(パワーマック1台、レッツノート3台、ThinkPad1台)モニター3台(27インチ2台、24インチ1台)キーボード3台、その他(ノート、手帳、文房具等々)。これを一つづつ説明していけば10回分のブログは書けそうです。ちなみに文房具や万年筆に関しては過去にブログで書いておりますので、そのカテゴリーで検索してみて下さい。

 デスクといっても、書斎にあるので、その書斎もこの際お見せします。デスクにしろ書斎にしろ、エントロピーは最大値に達しています。

 読書だけでなく、CarpFishing、卓球と数学教師だけでなく、趣味の方ものめり込んでおり、CarpFishingでは「リーマンの鯉釣り日記」というブログも15年ほど書いています。gooブログが廃止になるにしたがって、最近になって、こちらのHatena Blogに移転してきましたので、まだ慣れない記述でもあるので、その点ご容赦ください。

 書斎はどうなっているのかといいますと、右回りに

 

 

 

 読んでいる本に関しては、過去のブログに紹介したりしていますので、各カテゴリーでのブログを参照してください。

 基本的には、書斎でパソコンにて原稿を書くことや数式処理ソフトで計算したりです。数学関係の原稿はすべてTexで書いています。前回のブログでも少し紹介した卓球の試合での元職場の同僚の旦那さんはTex関連では有名な書籍も書かれています。わかる人にはすぐにピンときそうですね。

 それにしても荒れまくっている私のデスクと書斎。今から整理を始めたいと思います。整理できた状態を報告できる程度までに何とかしたいものですが、自信はありません。少なくとも、デスクに関しては

程度になることを目指します。